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第一課:学而第一「有子曰」@

第一課:学而第一「有子曰」@

 みなさんこんにちは。造言です。

 

 今回は、第一課ということで、注も疎も本文も全部短い文「有子曰」を読み込んでいきたいと思います。

 

 ではではちゃちゃっと始めましょう。

原文確認

 まずは原文を確認しましょう。()で括られたところは、原典にも掛かれている注です。なお、灰色になってるところは、原文には本来ない私自作の、参考として作った注です。勿論原典にはありません。

 

原文:

有子曰(孔子弟子有若)其為人也孝弟而好犯上者鮮矣(鮮少也上謂凡在已上者言孝弟之人必恭順好欲犯其上者少也)「已己也漢文屡己作已須依其文脈正其字義孝恕親之態弟順兄之態恭与順好与欲各略同其義則二者所謂連也」不好犯上而好作亂者未之有也君子務本本立而道生(本基也基立而後可大成)孝弟也者其為仁之本與(先能事父兄然後仁道可大成)

 

[]有子曰至本與正義曰此章言孝弟之行也弟子有若曰其為人也孝於父母順於兄長而好陵犯凡在已上者少矣言孝弟之人性必恭順故好欲犯其上者少也既不好犯上而好欲作亂為悖逆之行者必無故云未之有也是故君子務脩孝弟以為道之基本基本既立而後道コ生焉恐人未知其本何謂故又言孝弟也者其為仁之本與禮尚謙退不敢質言故云與也注孔子弟子有若正義曰史記弟子傳云有若少孔子四十三?鄭玄曰魯人注鮮少也正義曰釋詁云鮮罕也故得為少皇氏熊氏以為上謂君親犯謂犯顏諫爭今案注云上謂凡在已上者則皇氏熊氏違背注意其義恐非也

 

 さて、ではここから読解ですね。とりあえず本課は、有子曰(孔子弟子有若)其為人也孝弟而好犯上者鮮矣(鮮少也上謂凡在已上者言孝弟之人必恭順好欲犯其上者少也)「已己也漢文屡己作已須依其文脈正其字義孝恕親之態弟順兄之態恭与順好与欲各略同其義則二者所謂連也」まで扱います。

 

なので、ここまでは自力で読んでみることをお薦めします。解説では順々に、解説する部分について自力で読むよう促していますが、意味の切れ目も自分で探せるのが理想なので、今ここの段階で今日やるところは一度読み進めることをお薦めします。なお、疏は後で別に解説しますので、今は無視してください。

 

解説1:一つ目の注まで

 みなさま、自力で読み進めましたでしょうか?

 

それではさっそく、解説に入っていきます。

 

 まずは、一つ目の注の部分まで自力で読んでみましょう。すなわち以下の黄色い部分です。

 

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有子曰(孔子弟子有若)其為人也孝弟而好犯上者鮮矣(鮮少也上謂凡在已上者言孝弟之人必恭順好欲犯其上者少也)「已己…以下略

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いかがでしたか?読みましたか?

 

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よし、では解説をば。

 

 

 

「曰」はお馴染み「曰く」ですね。「甲曰『』」で「甲さんが言うことには『』。」「甲さんは言いました、『』と。」という意味を表す決まり文句ですね。

 

 じゃあ前の「有子」ってなんじゃい?っと疑問に思ったところで読むのが注。「孔子弟子有若」とあります。どこで単語区切るんじゃい、と思った方はひとまず知ってる単語ごとに文を区切ってください。

 

 多分、「孔子/弟子/有若」となるのでは?で、論語というのは孔子とその弟子の語録ですから「孔子の弟子有若」、つまり「孔子の弟子である有若」という意味と分かりますね。

 

 以上のことから、「有子」とは、「孔子の弟子の有若さん」だと分かります。

 

 なお、「有若」で「?」となった人も多いかと思いますが、そういう時は漢和辞典を引きましょう。人名は漢文読解における大きな難関ですが、著名な人であれば辞典に載っています。…載ってなければどうすればいいか?…文脈で理解するしかありませんね、その時は。

 

解説2:二つ目の注まで

次に、二つ目の注までの文を読みます。黄色い部分ですね。

 

有子曰(孔子弟子有若)其為人也孝弟而好犯上者鮮矣(鮮少也上謂凡在已上者言孝弟之人必恭順好欲犯其上者少也)「已己也漢文屡己作已須依其文脈正其字義孝恕親之態弟順兄之態恭与順好与欲各略同其義則二者所謂連也」

 

 うわ、注の方長ぇ・・・と思った方。ダイジョウブダイジョウブ。漢文なんてそんなもの。誤解を減らすための注なので、注は言葉を尽くした長い文になることが多いのです。

 

 うわ、管理人の自作注更に長ぇ…と思った方、うん…正直ごめんなさいとしか言えません。辞書引くのめんどくさいかと思って付けてみましたが、返って面倒になった気がしてきました…。

 

 …まぁなにはともあれ、最初は注から読みましょう。では、下の黄色い部分を読んでみてください。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

有子曰(孔子弟子有若)其為人也孝弟而好犯上者鮮矣(鮮少也上謂凡在已上者言孝弟之人必恭順好欲犯其上者少也)「已己…以下略

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では解説を開始しますね。

 

 

「甲乙()」は注の決まり文句。「甲は乙という意味」という意味です。同義語を示すことで意味を教える簡明な注です。

 

今回の場合は「鮮は少なしなり」と読みます。本文に「鮮」という字があるか確認してみましょう。「其為人也孝弟而好犯上者矣」・・・ちゃんとありますね。その意味の説明となっています。

 

 

 

 次、注の続きです。黄色い部分を自力で読んでみてください。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

有子曰(孔子弟子有若)其為人也孝弟而好犯上者鮮矣(鮮少也上謂凡在已上者言孝弟之人必恭順好欲犯其上者少也)「已己…以下略

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では解説します。

 

 

 

 「甲謂〜。」も注の決まり文句です。「甲とは〜を謂ふ。」つまり、「甲とは〜を言っているのである。」という意味です。これは文や句の意味を解説する決まり文句と覚えておいてください。

 

 で、今回の場合は、「上謂凡在已上者」なので、「上とは凡そ己上に在る者を謂ふ。」となります。・・・ん?「已上」ってなんだ?

 

 そう思った人のために、私の方で更に自作の注を作っときましたが、私の自作の注は後で読みましょうか。

 

漢文の原典を読む際で、特に注とか疏とかが付いているテキストを読む場合は、とりあえずよく分からない部分が出てきたら飛ばしましょう。

 

後で疏とか読んで意味が分かるなんてこともザラなので、まずは書き下しを大まかに作り、分からないところは飛ばして作業するが吉なのです。

 

 

 さて、注の続きを読みます。黄色い部分を自力で読んでみてください。

 

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有子曰(孔子弟子有若)其為人也孝弟而好犯上者鮮矣(鮮少也上謂凡在已上者言孝弟之人必恭順好欲犯其上者少也)「已己…以下略

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いかがでしたか?解説入りますよ?

 

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では解説入ります。

 

 

 

この文は、いきなり「言」と出ていますね。ですがこれまた決まり文句です。「言文()。」は、「言ふこころは文(なり)。」と読み、「言っている意味は文(のである)。」と取ります。

 

今回の場合は、「言ふこころは孝弟の人必ず恭順にして、其の上を犯さんことを好欲する者少なきなり。」ですので、「言っている意味は、孝弟の人は必ず恭順で、自分の上(にいる者)を犯すことを好みやりたがる者は少ないのである。」となります。

 

 「孝弟」「恭順」ってなんだ?って考えた人もいるかもしれませんが、とりあえず無視しましょう。曖昧なものは後ろの疏で解決が基本です。注疏が付いているテキストではですが。付いてないテキストでは、自力で辞書と文脈を駆使して読むしかないですね。

 

解説3:造言注

 さて、ここまで読んだところで、私が勝手に作った注を参考までに読んでみましょうか。

 

本来なら、本文と注を読んでも分からない部分は、辞書を引きながら疏を読んで解決していくのですが、疏を読んでも解決しそうにないところがあったので、老婆心ながら、私の方で補足しました。

 

 ではさっそく、まずは黄色いところまで自力で読んでみてください。

 

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有子曰(孔子弟子有若)其為人也孝弟而好犯上者鮮矣(鮮少也上謂凡在已上者言孝弟之人必恭順好欲犯其上者少也)「已己也漢文屡己作已須依其文脈正其字義孝恕親之態弟順兄之態恭与順好与欲各略同其義則二者所謂連也」

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では解説です。

 

 

 

 「甲乙也」は先ほど解説したので説明は割愛しますが、「已は己なり。」ですね。問題は後ろ。

 

「漢文屡己作已」ですが、ごめんなさい。これまた決まり文句です。

 

「書物等甲作乙」は、文章校訂の為の文体で、「書物等は甲を乙に作る」と読みます。「書物等では甲の字を乙の字に作っている。」つまり「書物等では、甲の字は乙の字になっている」という意味です。

 

 今回の場合は、「漢文屡[しばしば]己を已に作る。」なので、「漢文ではしばしば己の字は已の字になっている。」という意味です。

 

 そして、次の文「須依其文脈正其字義」ですが、これは文法を理解していれば簡単。

 

「須らく其の文脈に依りて其の字義を正すべし。」つまり、「その文脈に応じてその字の意味を正さなくてはならない」という意味です。己の意味で取るべきか、已の意味で取るべきかは、文脈に依るということです。

 

さて、これを踏まえたところで、先に意味保留にしていた以下の注の意味を確定しましょう。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

有子曰(孔子弟子有若)其為人也孝弟而好犯上者鮮矣(鮮少也上謂凡在已上者言孝弟之人必恭順好欲犯其上者少也)「已己也漢文屡己作已須依其文脈正其字義孝恕親之態弟順兄之態恭与順好与欲各略同其義則二者所謂連也」

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 はい。この黄色い文の意味でしたね。文脈上、「已」は「己」の意味ですから、「上とは凡そ己の上に在る者を謂ふ。」となりますので、「上とは自分よりも上にいる者全般を言う。」という意味と分かります。

 

 さて、次、私の自作注の残りを読んじゃってください。これは特に決まり文句などはないので、文法理解してる人は特に苦労しないかと思います。

 

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有子曰(孔子弟子有若)其為人也孝弟而好犯上者鮮矣(鮮少也上謂凡在已上者言孝弟之人必恭順好欲犯其上者少也)「已己也漢文屡己作已須依其文脈正其字義孝恕親之態弟順兄之態恭与順好与欲各略同其義則二者所謂連

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 では解説です。

 

 

 

「孝とは親を恕するの態、弟とは兄に順ふの態なり。恭と順・好と欲とは、各[おのおの][ほぼ]其の義を同じうす。則ち二者は所謂[いはゆる]連文なり。」と読みます。

 

意味は「孝とは親を思いやるさま、弟とは兄に従順であるさまである。恭と順・好と欲とは、おのおのほぼその意味を同じにしている。すなわち二者はいわゆる連文である」となります。

 

連文というのは、似たような意味の字を二つ繋げて熟語にしたものです。恭と順は似たような単語で、好と欲も似た意味の単語ですね。

 

それらを繋げた恭順・好欲は連文と言えそうです。連文というものがあるという知識は、漢文読解で結構大切なので、一応覚えておいてください。「好欲」のような辞書にも載ってない単語は漢文には結構ありますが、たいていはこういう、超速理解漢文法で謂う所の「語法」を理解していれば解読可能なものだったりします。

 

 

 

 ともあれ、これで「孝」「弟」の意味も分かりましたし、「恭順」「好欲」も同義語を並べて一つの単語にしただけの連文と判明しましたね。

 

以上を踏まえて、曖昧にしていた以下の黄色い部分をもう一度翻訳し、意味を確定しましょう。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

有子曰(孔子弟子有若)其為人也孝弟而好犯上者鮮矣(鮮少也上謂凡在已上者言孝弟之人必恭順好欲犯其上者少也)「已己也漢文屡己作已須依其文脈正其字義孝恕親之態弟順兄之態恭与順好与欲各略同其義則二者所謂連也」

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さきほど、「言っている意味は、孝弟の人は必ず恭順で、自分の上(にいる者)を犯すことを好みやりたがる者は少ないのである。」とあいまいに訳していた部分ですね。

 

「孝」が「親を思いやるさま」、「弟」が「兄に従順なさま」、「恭順」が「恭や順と同じ意味」、「好欲」が「好や欲と同じ意味」だと分かりましたので、解釈は、「言っている意味は、親を思いやり、兄に従順な人は必ずうやうやしく従順で、自分の上(にいる者)を犯すことをやりたがる者は少ないのである。」のように、はっきり訳すことができるようになりますね。

 

 …え?「上(にいる者)を犯す」とか全然訳せてない?HAHAHA、まぁそこはあれです。疏の部分を読むまで保留にしましょう。本文と注だけ読んでも訳せないところがあった場合は疏に譲る。この手順を覚えましょう。

 

終わりの言葉:

 ふぅ。二文まででも解説すると長いですね。残りは次の課に譲りましょう。

 

 なお、「漢文読解ってめんどくさいなぁ。見る場所ころころ変えなきゃなんない」と思っている方がいそうですが、…まぁその通りですよ。

 

 注や疏が付いていないテキストであれば、辞書を片手に知識をフル動員して文脈に応じて適切な訳語を自分で作る作業となりますが、注や疏がある場合は、基本的にこのように注や疏の解説にも目を通しながら、少しずつ意味を確定させていくというパズルのような作業が必要になってきます。

 

 もちろん、注や疏も結局は後世の学者が自分なりの解釈で作った注に過ぎないので、それが正しいという保証はどこにもないという問題はあります。

 

ですから現在でも、市販の『論語』などの文庫本では、それぞれの学者さんがそれぞれの知識をフル動員しながら、自分が正しいと思う解釈で訳したり、訓読したりしているわけですしね。

 

でもまぁ昔の人の解釈の是非はともあれ、とりあえず中国文学とか勉強する学生は、そんなに独自解釈できるだけの論拠も知識もありませんのでね。漢文読解能力の向上や古代中国人の解釈を学ぶという大義名分もあって、本講座でやっているような読解方法で、日々勉学に励んでいるわけですよ。

 

 っとまぁ、長話になってきたところで、この辺で今回はお開きにしましょう。

 

 それではみなさん、ごきげんよう。再見!

 

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