漢文翻訳ブログのごみ箱

当ブログの漢文について

当ブログの漢文についての説明

 当ブログの漢文は、本来の漢文(これを以後、古典中国語と称しておきます)とは多少違うところがあります。

 

 以下、このことについて説明していきたいと思います。

 

 

 

当ブログの擬古漢文と古典中国語の違い

 当ブログの漢文は、言語の骨格である文法については、原則として古典中国語のそれに準拠しています。

 

 しかしながらその「語彙」については、さほど古典中国語に従っていません。

 

 例えば「優しい」の「優」の字。これは古典中国語においては「優れている」という意味で解すべきものでしょうが、当ブログでは、日本語の「優しい」の意味で使ったりしています。また、当ブログにおいては、古典中国語では見られない「物理的」「積極的」のような近代的な言葉も採用しています。要するに、現代の日本人にとって修得し易いように語彙を改変しているわけです。

 

 当ブログの漢文はまた、古典中国語のそれに比べると、相当程度言葉の多様性を排除しています。

 

 例えば古典中国語においては、「わたし」を意味する言葉に、「我」「吾」「余」「予」などがありますが、当ブログの漢文においてはそのうちの「我」一字のみを採用しております。

当ブログの漢文作成指針の理由

 当ブログがこのような擬古漢文を採用している理由は二つあります。

①当ブログは、日本人としての漢文をマスターすることを目指しているので、日本的な言語感覚が残っていても気にならないため。

 

②今や廃れてしまった漢文という一つの言語を、現代の言語生活に耐えうる言語へと進化させるため。

 

 なんだか格好よく言っていますが、本音を言えば、これが漢文を現代に活かす手段としての限界だと思ったからに過ぎません。

 

 そもそも古典などで用いられる「本来の古典語」というのは、文脈が古代であるため、現代的な事柄を表現するには、語彙が圧倒的に不足しています。そして今や誰も使わなくなってしまった言語を、完全な形で復元するなどというのは、そもそも無謀な話です。

 

 更に言えば、古典中国語というものは、実用の言語としてこれを見た時、かなり大きな問題を抱えています。

 

 すなわち古典中国語は、語彙が余りに複雑すぎるのです。まず漢字の数。現代の日本の「常用漢字」は二千字そこらですが、古典中国語となるとその倍は覚えなければやってられません。そしてさらに古典中国語は、品詞がめちゃくちゃです。文脈によって名詞が副詞になったり形容詞になったり動詞になったりと、とにかくやりたい放題で、読み手には著しく負荷がかかります。

 

 以上のような問題を思えば、漢文を実用していく際には、語彙の近代化と語彙数の削減、及び語彙の簡素化は避けられないものと私は思います。

当ブログの例文について

 当ブログの漢文は、出典などが記載・言及がなされてなければ、すべて私の自作です。

 

 それ故、例文なども皆私の擬古文に過ぎませんので、本物の漢文の例文にこだわりたい人は注意してください。

 

 古典からの例文を示しながら文法・構文の説明をしている教材は、受験用の教材から漢文の文法書に至るまで、とにかく沢山あります。擬古漢文を学ぶのは気が引けるけど漢文を学びたいという方は、市場に出ている教材を買って勉強することをお勧めします。

関連ページ

免責事項

ホーム RSS購読 サイトマップ
入門篇 初級篇 超速理解漢文法 原典講読1「論語注疏解経」 書籍・サイト紹介