第三課:学而第一「有子曰」③
みなさん、こんばんは。造言です。
今回は、保留にしていた「疏」の部分を読みます。
原文確認
ではまず原文確認ですね。これから読み進めていくのは、以下の文章です。
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[疏]有子曰至本與○正義曰此章言孝弟之行也弟子有若曰其為人也孝於父母順於兄長而好陵犯凡在已上者少矣言孝弟之人性必恭順故好欲犯其上者少也既不好犯上而好欲作亂為悖逆之行者必無故云未之有也是故君子務脩孝弟以為道之基本基本既立而後道德生焉恐人未知其本何謂故又言孝弟也者其為仁之本與禮尚謙退不敢質言故云與也○注孔子弟子有若○正義曰史記弟子傳云有若少孔子四十三歲鄭玄曰魯人○注鮮少也○正義曰釋詁云鮮罕也故得為少皇 氏熊氏以為上謂君親犯謂犯顏諫爭今案注云上謂凡在已上者則皇氏熊氏違背注意其義恐非也
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ご覧の通り、非常に長いですが、まぁ疏はそんなに難しくはありません。疏はたいてい、本文をより分かり易く言い換えているだけですから。まぁ順々にゆっくり読んで行きましょう。
なお、今回は疏のうち、上の黄色く色付けされた部分を読んで行きます。以下、順々に解説をおこなっていきますので、解説を見る前に自力でまずは読んでみることをお薦めします。自力とはいっても、もちろん辞書などはぞんぶんに引いて構いません。
解説:1.有子曰至本與
ではまず、疏の一番初めのところを読みましょう。下の黄色の部分です。
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[疏]有子曰至本與○正義曰此章言孝弟之行也弟子有若曰其為人也孝於父母順於兄長而好陵犯凡在已上者少矣言孝弟之………以下略。
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はい、これは決まり文句なので間髪入れずに解答します。
疏の出だしの「A[本文の言葉]至B[本文の言葉]」は、「AからBまで」の意味で、「これからAからBまでの部分について解説しますよ。」という程度の意味です。
訓読に関しては、正直よく分かりません。大学在学中も、この「A至B」は、特に訓読も翻訳もしなかったと思いますが、まぁ訓読したければ「AよりBに至るまで」で「AからBまで」と訳せばいいでしょう。
ともあれ、ここまでの知識があれば、今回の「有子曰至本與」もどういう意味か分かるでしょう。
すなわち、「有子曰至本與」とは、「有子曰から本與まで」の意味で、敢えて訓読するなら「有子曰から本與に至るまで」となります。
で、この「有子曰」と「本與」がどこからどこまでかと言いますと、…ええ、前回やった本文を思い出しましょうか。本文は以下のようなものでした。
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有子曰(孔子弟子有若)其為人也孝弟而好犯上者鮮矣(鮮少也上謂凡在已上者言孝弟之人必恭順好欲犯其上者少也)「已己也漢文屡己作已須依其文脈正其字義孝恕親之態弟順兄之態恭与順好与欲各略同其義則二者所謂連文也」不好犯上而好作亂者未之有也君子務本本立而道生(本基也基立而後可大成)孝弟也者其為仁之本與(先能事父兄然後仁道可大成)
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はい、分かり易く黄色で色付けしたから一目瞭然ですね。この文を引用して、「有子曰から本與までを解説しますよ」と言っているわけですね。
この形式は疏の出だしの決まった形式なので、覚えておきましょう。
2.正義曰
では次に行きましょう。今度読むのは、次の黄色の部分ですね。これも大体決まった形式なので間髪入れずに解説します。
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[疏]有子曰至本與○正義曰此章言孝弟之行也弟子有若曰其為人也孝於父母順於兄長而好陵犯凡在已上者少矣言孝弟之…以下略
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では解説です。
「正義曰~」は、これはもう決まり文句で、「正義に曰く、『~。』と。」と書き下し、「正義に言うことには『~。』と。」と訳します。この正義というのがなんのことだったかは私の記憶ではもはや曖昧ですが、辞書的には「経典の解釈」のこと。まぁ要はこの疏の解釈のことだったかと思います(あいまいでごめんなさい)。
なので「正義に曰く『』」の『』は、この部分の疏が終わるまでずっと続く、非常に長い引用となります。直後の「此章言孝弟之行也」で引用を終わらせて「正義曰『此章言孝弟之行也』。」などとしないように気を付けましょうね。
で、次の「此章言孝弟之行也」ですが、このうち「此章言…也」の部分がほぼ決まり文句です。「此の章は…を言ふなり」と訓読し、「この章は…のことを言っているのである。」のように訳します。
「此の章」というのは、前回までで読んだ本文「有子曰」で始まり「本與」で終わるところのことですね。要は、これから解説する章が、どういうことを言おうとしているのかを、初めに説明してくれているわけなのですよ、この疏というやつは。親切なものでしょう?
さて、ここまでわかればもう決まり文句もなにもありません。黄色い部分全体を自分の力で読み、訓読、翻訳してみましょう。読むのは「正義曰此章言孝弟之行也」ですよ?
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はい、では解説です。
「正義曰此章言孝弟之行也」は、「正義に曰く、『此の章 孝弟の行ひを言ふなり。』」と訓読し、「正義に言うことには、『この章は孝弟の行いのことを言っているのである。』」と翻訳します。なお、『』の引用部分は今後もずうっと続きますので、ここで区切って「『のである。』と。」としてはいけませんよ。
3.弟子有若曰
さて、次です。次は特に決まり文句はないので、自力で読み進めましょう。黄色い部分の読解をお願いしますね。
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[疏]有子曰至本與○正義曰此章言孝弟之行也弟子有若曰其為人也孝於父母順於兄長而好陵犯凡在已上者少矣言孝弟之人性必恭順故好欲犯其上者少也既不好犯上而好欲作亂為悖…以下略
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いかがですか?書き下し、翻訳ともにできましたでしょうか。
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よし、では解説を始めますね。
まずは「弟子有若曰」ですね。これは「弟子有若曰く、」と訓じ、「弟子の有若が言うことには、」と訳しますね。
次の「其為人也孝於父母順於兄長而好陵犯凡在已上者少矣」ですが、これは「其の人と為りや父母に孝、兄長に順にして、凡そ已の上に在るを陵犯するを好む者少なし。」と訓読し、「その人となりが父母に対して思いやりがあり、年上の兄に対して従順でありながら、広く自分の上に在る者を辱めることを好む者は少ない。」のように訳します。
この文の「陵犯」は、だいたい同じような意味なので、いわゆる「連文」だと分かりますね。「犯す」「陵ぐ」で今回の文脈に近い意味で取るとすれば「辱める」くらいなので、その意味でとりました。
また、この文の「~者」を、「已の上に在る者を」とするか「~を好む者」とするかで迷う方もあるかもしれませんが、これは本文や注を参考にして決めましょう。
すなわち、前回までやった本文・注は以下のようなものでした。確認しましょう。
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有子曰(孔子弟子有若)其為人也孝弟而好犯上者鮮矣(鮮少也上謂凡在已上者言孝弟之人必恭順好欲犯其上者少也)「已己也漢文屡己作已須依其文脈正其字…以下略
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注目すべきはもちろん黄色の部分ですね。本文では「上を犯すを好む者」、注では「其の上を犯すを好欲する者」となる部分です。
この部分とちょうど対応している疏が、今やっている「好陵犯凡在已上者」ですので、やはり文型も本文や注に合わせて「凡そ已の上に在るを陵犯するを好む者」とすべきでしょう。
なお、こうして本文と注と疏を比較してみて気付いた方もいると思いますが、基本的に疏は本文をよりわかりやすく言い換えているだけなので、両者は対応関係がかなりはっきりしていることが多いです。
注の方は必ずしもこのように完璧な対応関係があるとは限らないのですけれどね。
4.言孝弟之人性必恭順故好欲犯其上者少也
さて、次。以下の黄色い部分を自力で読んでみましょう。
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[疏]有子曰至本與○正義曰此章言孝弟之行也弟子有若曰其為人也孝於父母順於兄長而好陵犯凡在已上者少矣言孝弟之人性必恭順故好欲犯其上者少也既不好犯上而好欲作亂為悖…以下略
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では解答です。
「言孝弟之人性必恭順故好欲犯其上者少也」は、「言ふこころは、孝弟の人 性必ず恭順なり、故に其の上を犯すを好欲する者少なきなり。」と書き下し、「言っている意味は、親を思いやり、兄に従順な人は、性質が必ずうやうやしい、だから自分の上を辱めることをやりたがる者は少ないのだ。」のように翻訳します。
「主語-性-~」は、「主語は性質・性格が~。」という決まり文句です。漢文における「象は鼻が長い」構文の中でも非常によく出る慣用表現ですので覚えておきましょう。
因みに今やった部分は、本文ではなく注に対応する部分があります。以下の黄色い部分がその対応部分に当たりますね。
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有子曰(孔子弟子有若)其為人也孝弟而好犯上者鮮矣(鮮少也上謂凡在已上者言孝弟之人必恭順好欲犯其上者少也)「已己也漢文屡己作已須依其文脈正其字義孝恕親之態弟順兄之態恭与順好与欲各略同其義則二者所謂連文也」不好犯上而好作亂者未之有也君子務本本立而道生(本基也基立而後可大成)孝弟也者其為仁之本與(先能事父兄然後仁道可大成)
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5.既不好犯上而好欲作亂為悖逆之行者必無故云未之有也
さて、次。黄色い部分を自力で読んでみてください。
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[疏]有子曰至本與○正義曰此章言孝弟之行也弟子有若曰其為人也孝於父母順於兄長而好陵犯凡在已上者少矣言孝弟之人性必恭順故好欲犯其上者少也既不好犯上而好欲作亂為悖逆之行者必無故云未之有也是故君子務脩孝弟以為道之基本…以下略。
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では、解説いきます。
この文は、「既に上を犯すを好まず、而して亂を作して悖逆の行ひを為すを好欲する者は必ず無し、故に『未だ之有らず』と云ふなり。」と訓読します。
翻訳は、「上を辱めることを好まないからには、そうでありながら乱をなして反逆の行いをすることをしたがる者は絶対にいない、だから『いまだいたためしがない。』と言うのだ。」というふうにすればいいでしょう。
「既~」は、漢文では「~であるからには」「~である以上は」くらいの意味です。
「而」はつなぎの言葉なので文脈によって「そして」とか「それなのに」とかになります。ここでは「そうでありながら」と訳しました。
「悖逆」は「悖」「逆」どちらも「さからう」程度の意味の同義語。故に連文ですね。なのでこなれた日本語で「反逆」としました。
「必無」は、直訳は「必ず無い」ですから、こなれた日本語にすれば「絶対にいない」ですね。
「未之有」は直訳は「未だにない」程度でいいのですが、文脈的に強調の意味合いが強そうなので「いまだいたためしがない」と意訳しました。
因みに今やった部分は、本文の以下の黄色い部分に対応しています。
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有子曰(孔子弟子有若)其為人也孝弟而好犯上者鮮矣(鮮少也上謂凡在已上者言孝弟之人必恭順好欲犯其上者少也)「已己也漢文屡己作已須依其文脈正其字義孝恕親之態弟順兄之態恭与順好与欲各略同其義則二者所謂連文也」不好犯上而好作亂者未之有也君子務本本立而道生(本基也基立而後可大成)孝弟也者其為仁之本與(先能事父兄然後仁道可大成)
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6.是故君子務脩孝弟以為道之基本基本既立而後道德生焉
次、今度は以下の黄色の部分です。いつも通り自力で読んでみてください。
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[疏]有子曰至本與○正義曰此章言孝弟之行也弟子有若曰其為人也孝於父母順於兄長而好陵犯凡在已上者少矣言孝弟之人性必恭順故好欲犯其上者少也既不好犯上而好欲作亂為悖逆之行者必無故云未之有也是故君子務脩孝弟以為道之基本基本既立而後道德生焉恐人未知其本何謂故又言孝弟也者其為仁之本與禮尚謙退不敢質言故云與也○注孔子弟子有若○以下略
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では解答を示します。
「是故君子務脩孝弟以為道之基本基本既立而後道德生焉」は、訓読は「是の故に、君子は孝弟を脩むるに務め、以て道の基本と為す。基本既に立ちて、而る後に道徳 焉に生ず。」のようになります。
翻訳は、「こういうわけで、君子は孝弟を修めることに務め、それを道の基本とする。基本が立ったら、そうしてはじめて道徳がここに生まれる。」という感じですね。
是故は「こういうわけで」の意味、脩は「修」と同じ意味で使われる言葉です。「既」はここではおそらく「~したら」「~すると」の方の意味でしょう。漢文の「既」は、意味が結構広いので、文脈に応じた解釈が必要ですね。
因みにこの部分に対応するのは、以下の黄色い部分です。
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有子曰(孔子弟子有若)其為人也孝弟而好犯上者鮮矣(鮮少也上謂凡在已上者言孝弟之人必恭順好欲犯其上者少也)「已己也漢文屡己作已須依其文脈正其字義孝恕親之態弟順兄之態恭与順好与欲各略同其義則二者所謂連文也」不好犯上而好作亂者未之有也君子務本本立而道生(本基也基立而後可大成)孝弟也者其為仁之本與(先能事父兄然後仁道可大成)
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7.恐人未知其本何謂故又言孝弟也者其為仁之本與禮尚謙退不敢質言故云與也
では、また次へ。本課最後の読解です。
以下の黄色い部分を自力で読みましょう。
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[疏]有子曰至本與○正義曰此章言孝弟之行也弟子有若曰其為人也孝於父母順於兄長而好陵犯凡在已上者少矣言孝弟之人性必恭順故好欲犯其上者少也既不好犯上而好欲作亂為悖逆之行者必無故云未之有也是故君子務脩孝弟以為道之基本基本既立而後道德生焉恐人未知其本何謂故又言孝弟也者其為仁之本與禮尚謙退不敢質言故云與也○注孔子弟子有若○正義曰史記弟子傳云有若少孔子四十三歲鄭玄曰魯人○注鮮…以下略
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では解答を示しましょう。
「恐人未知其本何謂故又言孝弟也者其為仁之本與禮尚謙退不敢質言故云與也」は、訓読は、「人の未だ其の本の何を謂ふかを知らざるを恐る、故に又『孝弟なる者は其れ仁の本たるか』と言うなり。禮 謙退を尚び、敢へて言を質さず、故に『與』と云ふなり。」となります。
翻訳は、「人がまだその基本というのが何を意味するのかを知らないことを恐れている、だからまた『孝弟というものは、仁の基本なのか。』と言うのだ。礼は謙遜を尊び、敢えて言葉を突き詰めない、だから『か』と言うのだ。」というふうになります。
「…あれ、今回やる文、難易度一気に上がりすぎじゃない?」とか思った方もいるかもしれませんね。
まぁ実際、この文は文法がしっかり身についてないと難しい箇所がありますし、文脈理解も結構面倒です。ともあれ解説しましょう。
まず、「人未知其本何謂」ですが、これは「主語-未-他動詞-文。」という構造になっています。つまり文が他動詞の目的語になっているわけですね。簡単に書くと「SVO」の「O」が「文」になっているわけです。
そしてその「文」がまた厄介な構造で、超速理解漢文法で言うところの「疑問倒置」が起こっています。
すなわち、「其本謂何」が本来の語順であるはずなのに、「基本何謂」となっています。「何を謂ふ」なら、漢文は「SVO」=「主語-他動詞-目的語」型の言語なので「謂何」となるはずですよね?それが、「O」=「目的語」が「疑問詞」であるために、「何謂」という「OV」=「目的語-他動詞」の語順に変わってしまっているのでした。
ここを把握できさえすれば、「其の本の何を謂ふか」すなわち「その本が何を言っているのか」、こなれた日本語にすれば「その本というのが何を意味しているのか」と訳せるかと思います。
次に、「故又言孝弟也者其為仁之本與」ですが、このうちの「孝弟也者其為仁之本與」の部分は本文からの引用ですね。本文は以下のようなものでした。黄色の部分にご着目あれ。
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有子曰(孔子弟子有若)其為人也孝弟而好犯上者鮮矣(鮮少也上謂凡在已上者言孝弟之人必恭順好欲犯其上者少也)「已己也漢文屡己作已須依其文脈正其字義孝恕親之態弟順兄之態恭与順好与欲各略同其義則二者所謂連文也」不好犯上而好作亂者未之有也君子務本本立而道生(本基也基立而後可大成)孝弟也者其為仁之本與(先能事父兄然後仁道可大成)
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で、次に「故又言孝弟也者其為仁之本與」のうちの「故又言」=「だからまた~と言っている」がなんのことを言っているのかが問題になりますが、これは本文の文脈理解が必要不可欠です。
本文では、「君子務本本立而道生」と言ったあとにまた「孝弟也者其為仁之本與」と言っていますね。つまり、「君子務本本立而道生」で「本」という言葉を多用していますが、具体的に「本」がなんなのかを指示していないのでここだけ見ると意味が曖昧でよくわかりません。
そんな文脈の直後に、また、「孝弟也者其為仁之本與」すなわち「孝弟というやつは仁の本なのか」=「孝弟というやつは仁の本である」(この「本なのか」を「本である」とここで言いかえた理由については、後ろの疏の文章を読むことで理解できるようになります)と、「本」がなにを指すのかをわざわざ言い換えてくれているわけです。
ここまで把握できれば、「恐」「人未知其本何謂」「故又言」「孝弟也者其為仁之本與」のつながりが理解できるはずです。
すなわち、疏の「恐」「人未知其本何謂」「故又言孝弟也者其為仁之本與」とは、「(本文の「君子務本本立而道生」のところまででは、)読者or発言者を聞いている者がまだその本というのが何を意味しているのかを知らないことを(この章の著者or発言者有若さんが)恐れている、だからまた『孝弟というやつは仁の本である。』と言って(その本が何のことなのかを明示して)いる。」ということを言っているわけです。
最初の「恐」が副詞「恐らくは」ではなく他動詞の「恐る」であると意味を確定するまでには、ここまで文脈を把握してからでないとできません。
また「恐」の隠れた主語が、論語の著者またはこの章の発言者たる有若さんのことを意味していて、「人」が論語の「読者」または有若さんの言葉に耳を傾けている人を意味していることにまで気づくのも、やはり文脈をしっかり把握しないとできないので、面倒なることこの上ないですね。
さて、山を越えたところで残りの部分。すなわち「禮尚謙退不敢質言故云與也」の解説に入りましょう。
「謙退」は連文。漢文では、「退」は遠慮する様子も意味しますので、謙遜の「謙」と同義です。故に「謙退」は、こなれた日本語にすると「謙遜」となりますね。
「質言」は、辞書を引けばわかるかと思いますが、「質」は「ただ-す」と読み、「問い詰める」とか「突き詰める」といった意味があります。なのでここでは、「言葉を突き詰める」くらいの意味と分かりましょう。
「礼が謙遜を尊んで敢えて言葉を突き詰めないから『か』と言うのだ」とは、要するに「昔の礼では、はっきりした言い方をしない方が好まれた」から「言葉をぼかして『か』と言っている」というようなことを言っているのです。
だから本文の「孝弟也者其為仁之本與」という部分も、謙遜して言葉をぼかしているから「孝弟というやつは仁の本なのか」と言っているだけで、本当は「孝弟というやつは仁の本なのだ」と言いたかったわけですね。
…とまぁ、謎解きみたいにやっていきましたが、いかがでしたか?こんなふうに、パズルのように、謎解きのように、本文と、注と、対応する疏の説明とを読み比べながら、言語も習慣も常識も違うはるか昔の漢籍を読み進めていくのが漢文読解というわけでございます。
まぁ注疏がなければ普通の外国語読解みたいに辞書と本文と文脈だけで読解するのですが。
終わりに
ともあれ今回はこの辺でお開きにしましょう。残りの疏は次回に持ち越します。
ではまた。再見。
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- 「有子曰」の読解①です。
- 第二課:学而第一「有子曰」②
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